0じゃない可能性を見つけるブログ

挑戦する事の意味を考えること

筋トレは男のロマン

 私にとって筋トレは、気分転換を図るための趣味であると同時に一種の生きがいでもあります。幼い頃からアクション映画が大好きで、素晴らしい肉体美を誇るスーパースターが悪者をバッタバッタと打ち倒していく様を見ていて、いつか自分もあんなふうに強くなれたらいいなと思っていました。


学生時代に運動部に所属していたこともあって、30歳を過ぎた今でも定期的に体力増進のトレーニングを実践しています。(もちろんプロのアスリートの方々に比べたら私の行っている筋トレなど微々たるものでしょうが。)


最近特にはまっているのが、体幹部を鍛える筋トレです。左右両側にバーのついている車輪を前後に転がして筋肉に負荷をかける「腹筋ローラー」が大のお気に入りです。これは、ジャッキー・チェン氏が映画内で披露していたトレーニングとしても非常に有名です。


通販サイトで本商品を購入した当初は、ちょっと体を前に伸ばしただけでそのまま回転する車輪の勢いに引っ張られて前方に転倒していました。YOUTUBEには連続で10回以上も腹筋ローラーエクササイズを行っている動画が多数アップされており、それらを見るたびに「本当にこんな運動人間にできるものなのか?」と畏怖の念を抱いていました。実際、腹筋ローラーで運動した翌日は腹筋がバキバキに硬直して、ちょっと体をひねっただけでも激痛に苦しんでいました。


しかし現在では、直立した状態からでも腹筋ローラーエクササイズを10回以上行えるようになりました。鏡で見てみると、自分の腹筋が数ヶ月前とは比べ物にならないほど引き締まっていることがよくわかります。こころなしか姿勢も良くなり、長時間街中を歩いていても疲れにくくなりました。


不可能と思われることでも一生懸命挑戦し続ければ大抵のことは実現できるものです。今では腹筋ローラーで転倒していた頃のことが懐かしく思えます。
現在私は次のステップとして「ドラゴンフラッグ」と呼ばれるエクササイズに挑戦する予定です。台の上に寝転がって背中と足を空中に浮かし、旗のように下半身を上下させる高難易度の体幹トレーニングです。今の私では5回すらこなせませんが、修練を続けていつかは10回以上連続でできるようになりたいです。

患者の会報誌を依頼されて

五年位前に、通院していた患者の会の役員をしていました。
会員の減少に伴い会費も少なくなり、毎年一回発行する会報誌の継続が難しくなりました。
業者に発注する予算もないという事で、手作りしようという事になりました。

その当時書記を担当し書類等をパソコンで作っておりました関係で、
私にその御役目が回ってきました。
excelやwordは講習を受け、その後試験を受けて資格は持っておりましたが、
広報誌を作るのは初めての事でした。

 

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広報誌をこのまま絶やす事も出来ないので、
当時仕事も持っておりましたが、挑戦してみる事にしました。

会員の皆さんにその事を伝えると、とても喜んで下さり、
出来上がるのを楽しみにしていると励まして下さいました。

それから会報誌の会合を何回も開いて、会員さんに記事をお願いしたり、
写真を集めたりして、レイアウトを考えました。
市の会報誌や、県の会報誌、学校の会報誌等を見ていろいろ参考にして、
自分なりに勉強しましたが、わからない事も
たくさんありましたので、悩む事もたくさんありました。

そんな時、講習を受けた先生の所へ行って、相談に乗っていただきました。
先生は私のとんでもない挑戦にびっくりされましたが、
喜んで教えて下さり出来上がったら是非見せて欲しいと言ってくださいました。

皆さんの期待にお答えしなくてはと思いながら、
一つ一つ仕上げていく内に、だんだん会報誌が形になっていきました。
写真をスキャナでパソコンに入力し、修正や補正を行う。

それをワードのテキストボックスに取り入れて、配置を考える。
図形の中に文書を取り込む等、初めてする作業は慣れない事ばかりでしたが、
苦労して出来上がった時はこの上もなく嬉しく、
達成感がありました。

全部で12ページの会報誌になり、会員の皆さんに喜んでいただきました。
私は、会報誌を作るという挑戦をさせていただいた事で、
自分のパソコンの能力を高める事が出来、微力ではありましたが、
会の為にお役に立てたという達成感がありました。

それから、三年位毎年作成をしていましたが、
だんだん実力もつき他の方面からも作成を依頼される様になりました。
一つの挑戦で、こんな結果になるとは思ってもみませんでしたが、
今は楽しみながらがんばっています。

憧れの曲でピアノ発表会に挑戦

 私が大人になってからどうしてもまたやりたかったのがピアノです。

子供の頃習っていましたが、中学3年生の時、

受験に集中するためやめてしまいその事をずっと後悔していました。

 

特に憧れていた曲がベートーベンの月光ソナタという曲です。

この曲は第1楽章から第3楽章という3つの分かれた曲が組み合わさって

ひとつの作品というもので、その内のはじめの第1楽章だけ

ピアノを習っていた頃に発表会で弾いたことがありました。

 

第2楽章もわりとゆったりしているので当時弾けたのですが、

問題は第3楽章。一番カッコ良く、月光ソナタのクライマックスなのですが、

速くて難しく、弾く事ができないままなのでした。

これを社会人になった今、一番の挑戦としてはじめました。

中3までやっていたおかげで譜面を読むことは

初心者の方に比べるとまだ出来るほうですが、

この第3楽章は細かい音符がたくさんで音を確認していくだけで大作業。

 

でもそうやってひとつひとつの音をじっくり重ねていく時間は

精神統一のすがすがしい感覚になり、曲を完成させていく過程こそが

楽しみといういいサイクルになりました。

 

夜のピアノの音が出せない時間には(電子ピアノでヘッドホンをしても、

鍵盤がガタガタいってわりとうるさいのです)ネット動画で

ピアニストの演奏を聴いて耳にインプットしながら自分も

指を動かしてイメージしたり、月光ソナタを完成させるために

自由時間をたくさん費やしました。

 

そうして半年くらい経ち、なんとか最後までゆっくりですが弾けるようになり、

あとは本来の速さで弾けるまで練習するところまで来ました。

 

そんな時、以前習っていたピアノの先生から「発表会に出ない?」と連絡が来ました。

毎年ピアノの先生に出し続けていた年賀状に、

ピアノを再開して月光ソナタを練習している事を

書いたのがきっかけとなったのです。

 

習っていなければ発表会には出れないと思っていましたし、

そもそも全部弾けるようになるのが目標だったので、

舞台でお客さんの前で弾くなんて・・・けれどここまで挑戦してこそ

本物の目標達成になると思って出演させて頂く事になりました。

 

それからは、もっと練習しなきゃとますますがんばる意欲がわいて、

会社の友人にも発表会に来てくれるよう誘って自らハードルを上げ、

ドレスや靴を探し、髪型はどうしよう、など、一気に生活が

きらめいてものすごい幸せを感じています。

 

発表会前には先生のところでレッスンを受けることになっています。

また子供の頃のように先生に習うのも楽しみですし、

大人になった私のピアノと子供の頃のピアノ、

どう変わったか知るのも興味津々、「弾きたい!」という思いから

一気に世界が広がりました。

 

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挑戦するということは人生を輝かせてくれ、本当に楽しいって実感する毎日です。

好きこそものの上手なれ

私はもうかれこれ10年以上手芸全般を趣味として、

年々様々なジャンルの手芸に挑戦しています。

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その中でもここ3年ほどは洋服作りに最も傾倒していて、

簡単な日常着作りから始まり、フォーマルなスーツや

ニットの羽織物など難しいアイテムも作れるようになってきました。

また洋裁以外ではパッチワークキルトやビーズアクセサリーなど、

工具を使う手芸も一応得意分野です。

 

しかしそんな家庭的に見える趣味を持っている私ですが、

中学生の頃まで実は家庭科の授業が大嫌いでした。

 

家庭科の裁縫実習ではスカートやブラウス、

パジャマなどが課題で出された記憶がありますが、

いつも作業にとても時間が掛かり、

しかもよく間違えるので家庭科の先生には怒られてばかりでした。

裁縫以外の実習も面白いと感じたことはなく、成績評価はけして良くありませんでした。

 

けれど私は元々料理や絵、文章作成など、

とにかくクリエイティブなことをするのは大好きでした。

 

家庭科の授業が嫌いだったのは教科書通りのマニュアルに

沿ってなんでも作らなくてはいけなかったからであり、

ちょっと間違えたり要領が悪いと怒られる、その授業の雰囲気が嫌いだったのです。

つまりそれは、先生が嫌いだったということです。

 

なので、義務教育の時代のがんじがらめな物作りから離れると、

いつしか自分で色々な手芸を始めてみたいという思うようになりました。

習うより慣れろとはいいますが、手芸であれ料理であれ日々の生活活動の一環です。

 

やはり自発能動で楽しみながら、そして時間に縛られずに作品作りに励むようになったら、

家庭科の先生に怒られながら裁縫をしていた時には感じなかった

充実感・達成感を得られるようになりました。

 

 

これは家庭科だけでなくスポーツでもほかの学業全般でも、

しょっちゅうガミガミと怒られるとやる気や根気は殺がれるものだと思います。

 

 

私の場合、それでも物を作るということが好きな気持ちは消えませんでした。

そして好きだからこそ長年手芸を続けているのですが、

とても満足のいく作品が出来上がった時には家庭科の先生に怒られ、

惨めな気持ちだった当時の自分に勝ったような気がすると同時に、

次はもっと素敵な何かを作ろうという気持ちになれるのです。

 


また更に、その手作りの品が周りの人から思わぬ高評価を得て、

「今度は私にも作って」と頼まれたりすると

ますます調子に乗って新たな物作りへのモチベーションが上がります。

 

これからも自分の中の「好き」という気持ちを大事にして、

新たな手芸に挑戦し続けたいと思います。

ボルダリングの難コースに挑む楽しみ

挑む事の楽しみ、それは趣味であるクライミングにおいていつも感じます。
私がプレイしているのはボルダリングというロープがいらないクライミングです。

続けて8年程経過しました。

 

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楽しいためいくらでも続けていけるという感じですね。


ボルダリングはジムでのみ行っており、様々なコースが設定されています。

簡単な初級者向けからプロでも登れないような難コースまで色々です。

毎回行くたびに挑戦の繰り返しです。ある程度経験が積まれてくると

出来ない課題に挑む事が楽しくなってきます。

 

出来ない課題というのは何十個も存在していて全て挑んでいく課題になりえます。

明らかに登れないレベルのものに挑戦する事はなく、

自分のレベルにあった登った事がない課題に毎回挑むわけです。

 

あるひとつの課題に一日費やしてしまう日もあります。

しかも結局登れずに達成感を得られずに帰るという事も非常に多いです。

 

クリアできない悔しさを胸に次にジムにいくまでに

筋トレをして少しでも筋力をアップさせたり、

ストレッチをして少しでも柔軟性をましたり、そんな努力を繰り返します。

悔しさがそんな行動に向かわせます。

 

会社にいる時も隙を見つけては懸垂をしていたりもします。

業務に支障がでない範囲に心掛けていますけどね。

 

こうして平日は隠れたトレーニングをして

週末にジムに行った時に力を発揮するのです。

 

何度も弾き返された難しいコースをクリアできた時の達成感は本当に気持ちいいです。

体中の筋肉が悲鳴を上げているんですが、その苦しみを乗り越えてコースをクリアする、

汗だくの中で嬉しさを噛みしめつつマットに着地する時の快感は癖になります。

 

コースは定期的にお店のスタッフが変更してくれるので、

常に新しいコースに挑戦し続ける事ができるのです。

 

これがコースが変わらず自分が成長していったら、

全てのコースが終了してしまう、そんな競技であれば長い期間続く事はないでしょうね。

挑戦する事の楽しみを教えてくれたボルダリング

一生の生活の友にしていきたいと思います。
体作りにも健康にも良い事は間違いありません。
中年太りとも無縁です。

ミャンマーフェスティバルにブース出店しました!

先日、うちの出したブース(協会)にもNHKの人が来てくれましたが、
日本の友人からは15秒ぐらいの報道で
日本製品の売り込みとだけ伝えられていたようです。

安部首相がミャンマーを訪れ今までの円借款をチャラにし、
さらに円借款を行う程、アジア最後のフロンティアとして
注目を浴びてはいますが、まだまだ遠い国の話です。

それにいろいろ動けば動くほどわかるのですが
乾季には電気も停電になるほど社会的インフラ整備はまだまだなため
日本企業には厳しい環境です。
だからこそ、いろいろ仕組むチャンスはあると思ってます。 政治的に開かれたことで、
経済封鎖もとかれ資金がなだれ込む土壌はできましたが、
勤勉ですが技術はないミャンマーです。

まだ入り込んだばかりなので
ビジネス成功はまだまだ遠い未来になりますが、
頑張っていこうと思っています。


いつでも夢を

入院中もそうですが、生きる事に絶望感を抱き、立ち直れない時、すごく気分が落ち込んでいる時、つらい時、悲しい時、腹の立つ時等々・・・。
長い人生、色々な事があると思いますが、そんな時、私たちをとても元気づけてくれた映画の思い出が、私にはあります。

橋幸夫さん、吉永小百合さん主演の「いつでも夢を」です。
昭和37年。私もまだ生まれていない頃の、とてつもなく古い映画ですが、私が若い頃、仕事で手痛い失敗を繰り返し、また人間関係もうまくいかずにとことん悩んで落ち込んでいた時に、ちょうどレンタルビデオでこの映画を拝見しました。

夜学に通いながら、昼間仕事をしていて、色々な紆余曲折に苦しみながら、時にはいがみ合い、時には意気投合し、ひたむきに生きている当時の若い人たちの生き様を、リアルに描いたドラマで、自分の人生と重ね合わせて、「私たちはまだ幸せな方なんだ。これから、もっともっと頑張らなければ」って、仕事での嫌な事は忘れられて、とても励みになったのを、今でも覚えています。
また、主題歌の「いつでも夢を」は、昭和37年度の、日本レコード大賞を受賞した名曲で、この歌を聴いているだけで、辛い事、悲しく苦しい事を忘れられそうな気がします。
実は私が高校3年生の頃、ちょうど「廃盤ブーム」といって、昔の歌謡曲を、各レコード会社が復刻してレコードを発売されていました。私も、どちらかといえば昔の歌が好きだったので、高校3年生にして、学校の帰りにレコード店で偶然目にした「いつでも夢を」の復刻版シングルを買いました。
実際、私の母親も、集団就職で一般企業に単身で勤め出していた頃に、まだ若く、仕事では悩みも多い中、この歌を口ずさんでいるだけで、いつも辛い事、苦しい事が忘れられ、とても励みになったという話を聞いています。
まだ高校生だった私が買ってきた、そのレコードを母と一緒に聴いた時、昔の若い頃を思い出したのか、それとも懐かしさのせいでしょうか。思わず涙しながら、真剣に、何度も何度も繰り返し聴いていました。
私も当時はまだ、いい歌だなぁ、という印象しかありませんでしたが、次第にこの歌に込められた思いがわかってきた様な気がします。現在でも、辛く苦しい時にこの歌を聴くと、本当に励みになります。
なんだか、映画より主題歌の話になって申し訳ありません。
生きる勇気を与えてくれる、私のオススメの映画です。