0じゃない可能性を見つけるブログ

挑戦する事の意味を考えること

好きこそものの上手なれ

私はもうかれこれ10年以上手芸全般を趣味として、

年々様々なジャンルの手芸に挑戦しています。

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その中でもここ3年ほどは洋服作りに最も傾倒していて、

簡単な日常着作りから始まり、フォーマルなスーツや

ニットの羽織物など難しいアイテムも作れるようになってきました。

また洋裁以外ではパッチワークキルトやビーズアクセサリーなど、

工具を使う手芸も一応得意分野です。

 

しかしそんな家庭的に見える趣味を持っている私ですが、

中学生の頃まで実は家庭科の授業が大嫌いでした。

 

家庭科の裁縫実習ではスカートやブラウス、

パジャマなどが課題で出された記憶がありますが、

いつも作業にとても時間が掛かり、

しかもよく間違えるので家庭科の先生には怒られてばかりでした。

裁縫以外の実習も面白いと感じたことはなく、成績評価はけして良くありませんでした。

 

けれど私は元々料理や絵、文章作成など、

とにかくクリエイティブなことをするのは大好きでした。

 

家庭科の授業が嫌いだったのは教科書通りのマニュアルに

沿ってなんでも作らなくてはいけなかったからであり、

ちょっと間違えたり要領が悪いと怒られる、その授業の雰囲気が嫌いだったのです。

つまりそれは、先生が嫌いだったということです。

 

なので、義務教育の時代のがんじがらめな物作りから離れると、

いつしか自分で色々な手芸を始めてみたいという思うようになりました。

習うより慣れろとはいいますが、手芸であれ料理であれ日々の生活活動の一環です。

 

やはり自発能動で楽しみながら、そして時間に縛られずに作品作りに励むようになったら、

家庭科の先生に怒られながら裁縫をしていた時には感じなかった

充実感・達成感を得られるようになりました。

 

 

これは家庭科だけでなくスポーツでもほかの学業全般でも、

しょっちゅうガミガミと怒られるとやる気や根気は殺がれるものだと思います。

 

 

私の場合、それでも物を作るということが好きな気持ちは消えませんでした。

そして好きだからこそ長年手芸を続けているのですが、

とても満足のいく作品が出来上がった時には家庭科の先生に怒られ、

惨めな気持ちだった当時の自分に勝ったような気がすると同時に、

次はもっと素敵な何かを作ろうという気持ちになれるのです。

 


また更に、その手作りの品が周りの人から思わぬ高評価を得て、

「今度は私にも作って」と頼まれたりすると

ますます調子に乗って新たな物作りへのモチベーションが上がります。

 

これからも自分の中の「好き」という気持ちを大事にして、

新たな手芸に挑戦し続けたいと思います。