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挑戦する事の意味を考えること

母の思い出

ほとんどの方がそうかと思いますが、親のありがたみは亡くしてから気づく事が多いと思います。


私の場合はそうでした。

甘やかされて育ったつもりはありませんでしたが,今にして思うかなりわがままだったと思います。

 

父親とはすこし確執があり,いつも母を間に挟んでなんとか接しておりました。
母はじっとしているのが苦手な人で,常に何かしている印象があります。

 

田舎に住んでいたため,アクティブに外に出歩くことはありませんでしたが,料理や園芸,編み物などが大好きで,いつもなにかしておりました。

 

母の料理で好きだったのは,毎年大晦日に作ってくれた手打ちそばです。

 

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本格的なものではなく,そば粉100%で作る太めで短い田舎そばです。毎年大晦日のそば打ちは,恒例行事でした。一人でそば打ちからそばつゆ作りまですべてこなします。
自宅の分の他に,近くに住む親戚や友人の分まで作っておりましたので,大晦日の午後はほとんどがそば打ちで終わります。


本州では年末には「おせち料理」の準備をするようですが,北海道ではお重に詰めたおせち料理を作る家庭は少ないです。

 

そのため,そば作りが年越し,お正月の準備のメインイベントでした。そば作りは,粉を練ったり,伸ばしたりとかなりの体力が必要で,いつも汗だくで作っておりました。
そばつゆもめんつゆなどは使わず,鶏ガラや煮干しから出汁をとる本格的なそばつゆです。


そば屋では味わえない我が家独特の年越しそばです。そのそばを家族そろって食べるのが,1年の締めくくりでした。

 

そんな母が病気になり,父とふたりで母の闘病生活を支える事になりました。

 

とはいえ,私は親元を離れ一人暮らしをしておりましたので,支えると言っても連休に帰省するぐらいしかできませんでした。


体調が悪化して入院した際は,車で2時間ほどのところにある病院まで,父と二人で週末のたびに母の元へ通いました。

 

そんな闘病生活の中,その年の年末を迎えました。

 

年末にはなんとか病状は落ち着き,退院し地元の病院での経過観測まで回復できました。

 

しかし,病気が治った訳ではなく一時的に症状が落ち着いただけで,今後はどうなるかわからない状態での退院でした。

 

その年の大晦日も,母はそばを作ってくれました。

 

その様子を眺めながら,来年もこうしてこのそば打ち風景を見られるのかと考えると涙があふれそうでした。

 

その年のそばは,これが最後のそばかも知れないと言う思いが頭をよぎり,母の前で平静を装うのが大変でした。

 

結局,母はその翌年の夏に闘病の甲斐なく亡くなってしまいました。
毎年年末になると,母がそばを打っている様子が懐かしく思い起こされます。