読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

0じゃない可能性を見つけるブログ

挑戦する事の意味を考えること

俳協ボイスの思い出

小さい頃に大好きで見ていたアニメの登場人物に夢中になり、その声に心を引かれたことを今でも覚えています。声を担当していた声優さんは他のアニメにも出演していましたが、私にとっては夢中で見ていたあのアニメのあの登場人物の声の人という印象が強く刻まれていました。アニメの世界の登場人物に、声という命を吹き込み、アニメを見た人の心に強い印象を与えることのできる声優という仕事に、小さい頃から漠然とした憧れを抱いていました。

 

その思いは成長と共に大きく膨らみ、高校1年の頃には声優になりたいというはっきりとした夢を持ちました。そして、ネットで声優に関する情報収集を行っていた時、偶然に俳協ボイスの存在を知りました。

 

俳協ボイスは声優やナレーターが所属するプロダクションで、入所するには審査が必要になります。入所申込書を提出後、後日面接を受けました。1分間の自己アピールをする時間があり、何をアピールすれば良いのか悩んでしまい、面接の1週間前から緊張してしまっていました。

 

私が選んだのは、大きな声で長く伸ばすことができるという点をアピールすることでした。学校の友人からいつも声が大きいと指摘されていて、その声の大きさは短所になるかもしれませんが、同時に長所にもなると思いました。また、中学時代から部活で陸上をやっていたので、肺活量には自信がありました。腹式呼吸を意識して長く声を出し続けることは、きっと声優という声の職業にプラスに働くと考えました。そのアピールが良かったのかはわかりませんが、入所審査に合格することができました。

 

入所後は、週に1回のレッスンを受けることになりました。1回のレッスンは3時間あり、まずはスタンダードクラスに参加します。レッスン期間は6ヶ月で、発声や滑舌、演技の基礎を学びます。私にとっては当然のことながら全くの未経験のことばかりで、覚えることが多く、あっという間に3時間が過ぎ去っていきました。指導をしてくれる先生たちは厳しかったですが、その厳しさも将来プロとして活動していくには必要なものだと思いました。レッスンを重ねる内に仲間ができ、週に1回のレッスンがとても楽しみになっていました。


しかし、6ヶ月間のスタンダードクラスのレッスンを終了する前に、私は俳協ボイスを辞めることになりました。家庭の事情で、東京都から兵庫県へ引っ越すことになったのです。レッスンが楽しみで仕方なかった私にとってとてもショックな出来事でしたが、兵庫県からはレッスンに通うことはできません。

 

新しい場所で新しい学校に通い、新しい友達をつくることに追われる内に、いつしか声優になる夢が薄れてしまいました。その後大学へ進学し、さらに声優への情熱がなくなってしまい、現在に至ります。

 

俳協ボイスへ通っていた頃を振り返ってみると、現実のことではなかったような気さえします。しかしとても懐かしい記憶で、短い間でしたが私の青春だったと思っています。

20歳の時に管理人のご夫妻に助けてもらいました

随分と若いころの話なのですが、私は当時付き合っていた人から酷い暴力を受けたことがありました。

 

彼氏はもともと血の気の多い人だったのですが、その日の彼の暴力は凄まじく、私は命の危険を感じて彼のマンションを裸同然で逃げ出しました。というのも彼は私を部屋から逃がすまいとして、玄関先で私の服をはぎ取ったのです。

 

私は下着1枚の格好で部屋を飛び出して、1階にある管理人さんの部屋へと逃げ込みました。「すいません、助けてください!」裸同然の格好をした私を見て、管理人さん夫婦は慌てて私をかくまってくれました。

 

管理人室は4畳一間で、そこでご夫婦はつつましく暮しているようでした。「何があったの?」管理人の奥さんはとにかく何か服を着なさいと洋服を貸してくれて、温かいお茶まで出してくれました。ご主人は管理人室のドアの鍵をしっかりとかけて、廊下側の窓もカーテンもしっかり閉めて、中が見えないように私を守ってくれたのでした。

 

管理人さんの言葉によると、「私も色々な男を見てきたけど、彼女さんにこんなことするなんてあまりにひどすぎる」そう言って文句を言いに行ってやると言ってくれたのですが、私は彼とは別れるつもりなので、あまり事を大きげさにしないでほしいと頼みました。

 

私はその管理人室に逃げ込みながらも、彼氏がいつ私を探しに来るのかとはらはらとして、ずっと体の震えが止まりませんでした。

 

管理人さんは私の震える肩に優しく手を置いて、「こんな若い御嬢さんに手を上げるなんてなんて男だろう。怖かったろうに、寒かったろうに」と言って、ずっと私の背中を温かい手でさすってくれていました。

 

私はそれまでの人生で、世間の人間なんてだれも信用していなかったのですが、見も知らぬ他人の私にこんなに温かい手を差し伸べてくれたご夫婦に、ポロリと涙が溢れてきて止まらなくなりました。「帰りのタクシー代はあるの?少しならお金を貸してあげるよ」そう言って奥さんは私に2千円を貸してくれました。

 

「洋服もありがとうございました、クリーニングに出して必ず返します」私はそう言ったのですが奥さんはいい人で、「その服はもういらない服だから返さなくてもいいよ、とにかく彼とは別れて、なるべくこのマンションにはもう近づかない方がいいよ」と言ってくれました。

 

こんな見ず知らずに私を助けてくれて話まで聞いてくれて、本当に優しくて親切なご夫婦でした。

 

今私が健在でいられるのは、あのご夫婦の優しさで守ってもらえたからこそだと思っています。

基本的に声優に挑戦する俳優次第

昔から俳優が映画・アニメの声優を行うということは行われてきましたが、個人的な意見を言わせていただくと、多くの場合その声優に挑戦する俳優次第で「あり・なし」が決まると思っています。映画・アニメのキャラクターから想像できる声質や声調とかけ離れず、演技も不自然でないと感じる場合(特にあとになってから、この俳優が声優をしていたんだと気がつく場合)は、その俳優を使って正解だと思わせるキャスティングだと思います。

例えば、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」では、作中の重要な役「魔法使いのハウル」の声優にスマップの木村拓哉が起用されました。そのとき自分は映画を見るまでこの起用に一抹の不安を感じていました。それは、キャラの濃い木村拓哉の演技はジブリ作品の雰囲気を壊してしまうのではないかと考えてしまっていたからです。

しかし実際に映画館に観に行ったら、始めから最後まで「スマップ・木村拓哉」のことは全く頭に入ってこず物語に集中。映画を全て楽しんだ後「そう言えば、ハウルの声は彼がやっていたんだ」とあまりの普段の木村拓哉感のなさに良い意味でびっくりしました。

また、所ジョージが吹き替えをしていた「アルフ」は話し方はどことなく所ジョージそのままでしたが、アルフの人間ではない感じ・不思議な感じとマッチしていて「アルフ」と言えば「こういう声だ」と思わせるようなキャラクターに仕上がっていたと思います。

逆にあまり関心しないのは、声優の演技の仕方に慣れていないのか普段の会話そのままのトーンで話す俳優です。特に気になるのはデビューしたてのアイドルなどが、宣伝のためか声優に挑戦するというもの。

実は実際にはそういった映画の全編を通して見てみたことはないのですが、宣伝などで演技の一部を見るとどうしても映画・アニメのキャラクターより実際のアイドルのほうが目立ってしまっているような気がします。そういった作品には声優としての技量も期待できず、あまり見たいという気がしません。

キャラクターの雰囲気を壊さず、それに合った演技のできる俳優ならOK、できない俳優ならNGとなんとも自分勝手な意見ですが、これが自分の考えです。

 

q78f9ae8g66g.hatenablog.com

母の思い出

ほとんどの方がそうかと思いますが、親のありがたみは亡くしてから気づく事が多いと思います。


私の場合はそうでした。

甘やかされて育ったつもりはありませんでしたが,今にして思うかなりわがままだったと思います。

 

父親とはすこし確執があり,いつも母を間に挟んでなんとか接しておりました。
母はじっとしているのが苦手な人で,常に何かしている印象があります。

 

田舎に住んでいたため,アクティブに外に出歩くことはありませんでしたが,料理や園芸,編み物などが大好きで,いつもなにかしておりました。

 

母の料理で好きだったのは,毎年大晦日に作ってくれた手打ちそばです。

 

f:id:q78f9ae8g66g:20151217110855j:plain

 

本格的なものではなく,そば粉100%で作る太めで短い田舎そばです。毎年大晦日のそば打ちは,恒例行事でした。一人でそば打ちからそばつゆ作りまですべてこなします。
自宅の分の他に,近くに住む親戚や友人の分まで作っておりましたので,大晦日の午後はほとんどがそば打ちで終わります。


本州では年末には「おせち料理」の準備をするようですが,北海道ではお重に詰めたおせち料理を作る家庭は少ないです。

 

そのため,そば作りが年越し,お正月の準備のメインイベントでした。そば作りは,粉を練ったり,伸ばしたりとかなりの体力が必要で,いつも汗だくで作っておりました。
そばつゆもめんつゆなどは使わず,鶏ガラや煮干しから出汁をとる本格的なそばつゆです。


そば屋では味わえない我が家独特の年越しそばです。そのそばを家族そろって食べるのが,1年の締めくくりでした。

 

そんな母が病気になり,父とふたりで母の闘病生活を支える事になりました。

 

とはいえ,私は親元を離れ一人暮らしをしておりましたので,支えると言っても連休に帰省するぐらいしかできませんでした。


体調が悪化して入院した際は,車で2時間ほどのところにある病院まで,父と二人で週末のたびに母の元へ通いました。

 

そんな闘病生活の中,その年の年末を迎えました。

 

年末にはなんとか病状は落ち着き,退院し地元の病院での経過観測まで回復できました。

 

しかし,病気が治った訳ではなく一時的に症状が落ち着いただけで,今後はどうなるかわからない状態での退院でした。

 

その年の大晦日も,母はそばを作ってくれました。

 

その様子を眺めながら,来年もこうしてこのそば打ち風景を見られるのかと考えると涙があふれそうでした。

 

その年のそばは,これが最後のそばかも知れないと言う思いが頭をよぎり,母の前で平静を装うのが大変でした。

 

結局,母はその翌年の夏に闘病の甲斐なく亡くなってしまいました。
毎年年末になると,母がそばを打っている様子が懐かしく思い起こされます。

誰でもできる夫婦円満のコツ

 

f:id:q78f9ae8g66g:20151217110043j:plain

 

私はこの7月に入籍をしたばかりの新婚ホヤホヤの30歳男性です。今の嫁さんとは職場恋愛で、同僚や上司に隠しながらお付き合いをさせて頂いてました。そんな右も左もわからない新人なわけですが、一年間の同棲を経て気がついた夫婦円満なコツを記述していきたいと思います。

・『率先して家事を当たり前のように男がする』 これは夫婦円満の基本中の基本だと思っています。私の考えはある意味で古臭いのですが、現在嫁が働なくてはならない状況を作ってしまっているのは、紛れもなく自分だと常に思っています。私の稼ぎが今の倍であれば嫁は働く必要がなく、家庭に常にいて育児や家事に全力を捧ぐことができます。しかしながらそういった状況を作ってあげることができず、嫁を働かせてしまっていると私は時折悩むのです。そういった状況において、男が家事をするのは当たり前のことで、嫁から「ありがとう」なんて言葉をもらうなんておかしいとさえ思います。私の場合とても不器用な為、自信を持ってできるのは掃除・皿洗いぐらいで、本当に申し訳ないなと日々感じています。将来的には嫁が仕事が忙しくて帰りが遅い場面においては、晩御飯の支度を終えて帰りを待ちたいと秘かに思っています。

・『常に褒める』 言い方を変えれば『いいところを見つける』となります。私の嫁の場合は5歳下ということもあり、何気ないことを褒めるととても喜んでくれます。私の考えでは「褒める部分が全くない人間なんていない」という考えが基本としてあり、どんな人間でも一つは褒める部分があると思います。その部分を的確に判断し、相手が大袈裟に感じない程度に褒めることが大切です。私の失敗談として、久しぶりに会う異性の友だちに気に入られようと、開口一番に「スリムになったね」とわかりやすいお世辞を言ってしまい、実際には少し太っていたという事件がありました。嫁には同じ失敗をしてはいけないと強く思っているので、些細な変化にも気づけるように努力しています。

・『男は絶対に嫉妬をしてはいけない』 これは大声で問題を抱えている夫婦に言いたいことです。女性の嫉妬はだいたい可愛いもので、許されることが大半です。反対に男の嫉妬ほど醜いものはなく、本当に女性から引かれてしまうと思います。もし奥様を束縛状態にしてしまっている夫がいたら、今すぐにでも束縛していたことを反省し、奥様をいい意味で解放すべきだと思います。

トラブルを起こし続ける我が息子

わたしが子供が嫌いになりそうと思ったのは、飲食店に連れて行った時のことでした。

 

f:id:q78f9ae8g66g:20150731145110j:plain


   

ファミリーレストランに子供を連れて行った際に、アルバイトのお姉さんが子供用の椅子をもってきてくれたり、飲み物に氷は入れない方が良いか?など、我が息子のために気遣いをたくさんしてくださりとても嬉しく感じていました。
   

そして、実際に冷たく冷えたお茶を飲むとお腹をすぐに下してしまうので、子供の飲み物は氷のない常温のお茶を希望しました。夏場なので、冷たいお茶が出てくるのが通例の中、わざわざ息子のために適温のお茶を作ってくれたかと思うと、感謝の気持ちでいっぱいでした。
   

しかし、わたしの息子がやらかしました。
   

持ってきてくださったお茶に手をぶつけてしまい、お茶をテーブルの上、一面に撒き散らすは、コップは落下して割れてしまうなど、大惨事を起こしました。
   

もちろん子供の不注意とはいえ親の責任。
   

子供も悪気があってしたのではなく、注意不足が原因でやらかしてくれました。
   

早速、気遣いをしてくれたお姉さんが駆けつけてくださり「お怪我はないですか?すみません」と何も悪くない店員さんが私たちに謝罪の言葉をかけてきました。
   

申し訳ない気持ちでいっぱいでした。もちろん、子供に注意はしますが響いているのかどうか理解できる年頃ではないので今回の教訓を活かしてくれるかは判断がつきません。
   

しかし、人の気遣いをないがしろにしてしまった我が子に対しては、この時ふと子供が嫌いになりそうでした。
   

ファミリーレストランなので、子供を連れて行きやすい限られた場所。しかし、粗相をやらかしてからは何か足を運びづらく感じるようになり、その出来事以来お店には立ち寄れなくなりました。子育ての中、親である私の予想を上回ることをたくさんやらかす我がわんぱく息子。
   

子供を育てつつ、しつけも行わなければいけないと思うと見えない今後の出来事に頭が痛くなります。
   

子供ができると環境が変わるとか、優先順位が夫から子供へ変わるというのは、変わらざるおえない環境だからなんだといま、自分が母親になって改めて感じるようになりました。子供は好きなのですが、周りに迷惑をかけた時が一番私の中で子供を嫌いになりそうになる瞬間です。

とあるアミューズメントパークで、シャッターをお客様の頭の上に落としてしまいました

とあるアミューズメント施設に勤務していた時の話しです。

そのアミューズメントパークで、いつものように順調に作業をしておりました。

しかも、そこそこ慣れてきているので少し怠けるとこ、一生懸命やらなくても運営が回るとこもわかるようになってきておりました。

それでも危険な場合とか、問題となる場面は全然作らず、いい感じだったのに、とある勤務終了間際にお店のシャッターを閉める作業があります。

その時、ついうっかりシャッターを下ろしている時にお客様の頭の上をかすめる感じで当たってしまいました。

本当に僅かだったからお客様も気づいてなかったのか、そのまま帰られました。

しかし、頭の上を僅かでもかすめているんだからすぐにお客様にお怪我はありませんでしたか!と大袈裟なまでにも丁寧な接客こそ、求められているはずでも出来ませんでした。

そう、その時の私の心境からして、まあ、何も言われなかったしいいかと思っていたのです。

しかし、シャッターも閉めて片付けに入っていた時に支配人に呼び出されました。

そして、防犯カメラみたいなモニターに「閉店作業してる時に頭の上、当てただろう?」と言われたのです。

そういう場合は、すぐに謝ってそれから支配人なり社員に知らせなさいと言われ、私は自分の抜け加減に苛立ちました。

こういうワンミスで全てが終わるなんて!

その日からアミューズメントのシャッターの鍵は他の人が扱うようにとの指示されました。

その事を聞きつけた先輩が、また私に怒りながら言いました。

「支配人とかに言わなくてもワシらあに言えばいいのに、ワシらあにも頭をぶつけてしまった事をお前報告せんかったのか?」

と怒鳴られました。

そして怒鳴られてからそのスタッフの態度が嫌味たらしくなり、何かにつけて僅かな私のミスでもキレられました。

そして呼び出され「お前、それでも何ヶ月もやってきた価値があるんか?報告はせんし、仕事は覚えんし、人の話を聞け!」と怒鳴られ、なおかつそのまま何度も殴られそうになり、その度にスタッフが止めにかかりました。

文字通りあと一歩で、大怪我させられて痛い思いをするとこでした。

その怖いスタッフは40歳以上のごつい男性であり、私のミスの連続や今回のシャッターを落としてしまった時に報告しなかったことに対してついにブチきれた感じです。

非常に痛い失敗ですしなおかつあと一歩で大怪我必須の怖い体験談でした。